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未必の故意:今だからこそ傍観者効果から考える
心理職・心理学者がハラスメント対策を考える Advent Calendar 2023
未必の故意:今だからこそ傍観者効果から考える
どうも,工藤です。アドカレとか言いながらもう年の瀬も年の瀬,伸びに伸びてしまいました。ひとえに体調がゲロ吐きそうなくらい悪かったからです。申し訳ありません。ようやく体調が戻ってきましたので,思いつくまま書いてみようと思います。
未必の故意
結果が発生するかも知れないということを知っており,しかも発生すればしてもよいという認容があるとき(団藤, 1984)心理学界隈では大変な問題に火が点きました。複数人の心理学者(心理士/師)たちによるセクハラです。弁護士ドットコム(2023)による記事を読んだのですが,これはまあ酷い。酷いというか醜悪。醜悪というか吐き気を催す邪悪と言っても過言ではないくらいに,一連の経緯は酷いです。被害者の救済は勿論,加害者に対する厳罰を求める声や,非難の声があって当然だと思います。確かに現時点での処分は,認知・行動療法学会(2023)によるものしかありませんから。私自身も,この問題について何とかしなきゃならんと思い,今回筆を執ったわけです。
さて,ここで気づいたことがあります。上述の記事が流れてきた直後は確かに大炎上をしていて,皆がなんとかしなきゃと声を上げていました。でも,年も変わろうとする今はどうでしょうか。もう何か「過去のこと」や「他人事」になっていないでしょうか?あれだけ気色ばんでいた方々も,スンと鳴りを潜めてしまいました。なぜでしょうか?あなたがたの怒りや問題意識というのは,その程度だったのでしょうか?そうです,私はここが問題の根源じゃないのかと考えたわけなんです。ハラスメント(ここでセクハラに限定しないのは,パワハラも含め,ハラスメントに関する火種を心理学界隈が抱えているからです)の加害者を「生み出してしまった」,アカデミックな組織というか,界隈そのものに問題があるんじゃないかと。
ここで冒頭の「未必の故意」へとつながっていくわけです。これまでも,心理学界隈でもハラスメントが問題となってきました。しかし,怒りと連帯を表明してきたのは,当事者と近しい周囲の人たちだけです。じゃあ我々はどうしてきたか?「まあなるようにしかならんやろ」「誰かが頑張ってくれるやろ」と,沈黙を表明してきたわけです。いやそうではない?そうやから今回みたいなことになっとるんやろ。これは沈黙に乗ってしまった私自身の贖罪でもあるわけです。
ではここで少し話が変わります。2016年の日本社会心理学会第57回大会の懇親会で行われた,Idea Incubation Sessionというものがあります。ここではアイデアの種をポスターで発表して,皆でわいわいと議論をしようという場でした。私も出たらどうかと声をかけて頂いて,発表をしたんですね。ただ一つ懸念があり,ポスター前を動きづらい,でも懇親会ということで食事はどうするんだ?ということです。その時は誰かが持ってきてくれるやろということもあったんですが,心配になり,数人の先輩・同輩・後輩に食事の確保を頼んでおきました。まあ話のオチとしては,誰一人食事を持ってきてくれやしませんでした。悲しいですね。ちゃんちゃん。
あれ?これどこかで見たことありませんか?社会心理学の教科書に載ってるやつです。そうです,傍観者効果(Latane & Darley, 1968, 1970)です。傍観者効果は1964年のキティ・ジェノヴィーズ事件が起点となり,実験的に検討がなされてきました。簡単に説明すると,「助けや援助が必要な事態が生じているにもかかわらず,他者(= 傍観者)の存在を認知すると介入は抑制される」効果を指します。キティ・ジェノヴィーズ事件では,被害者女性が助けを求めて叫んでいるにも関わらず,誰も通報をしませんでした。少なくとも38人の近隣住人が目撃していたにも関わらず,です。では,なぜ傍観者効果が生じるのか,Latane & Darley(1968, 1970)を元にまとめてみましょう。
1. 多元的無知
「他者が積極的に動かない = 緊急を要しない」と誤認してしまう.言い換えると「他者が積極的に動かない = 集団の多数派の意見」と錯覚してしまう
2. 責任の分散
他者に同調した方が,その事態に対する自身の責任,あるいは非難が分散されると考える
3. 評価への懸念
もし何かしら行動を起こした場合,結果に対して周囲からネガティブな評価を受けることを恐れてしまう上述の食事が貰えなかった件についても,まさにこの傍観者効果が働いていて,「誰かがあいつに食事持っていくやろ」「誰も持っていく素振りを見せないのは,もう食事が足りているから」と,集団内の他者の動きに同調した結果,私はご飯を食べられなかったと考えることができます。実際,インタビュー(笑)ではないですけど,食事の調達をお願いした方々に「なんで持ってきてくれなかったの?」と後々聞いています。答えは上記の通りで,傍観者効果が発生していたと強く考えられるわけです。専門家である社会心理学者の集まりでも起きてしまうんですから,影響の強さは相当やなと思うわけです。
では話を戻しましょう。大学でも学会でも,何かハラスメントの問題が生じた際に,当事者とその周囲以外の人間は,この傍観者効果に陥っているのではないか?そう考えるわけです。おそらくですが,何かしらアクションを起こす場合の思考として,院生や若手は「上から睨まれて,就職や任期に影響したらマズい」と考えるでしょうし,中堅やシニアになると「面倒な役割を回されると困るし,そもそも自分の安定した立場を脅かすようなものに触りたくない」となるわけです。つまり,傍観者効果における評価への懸念が,強く効いているのではないかと考えられます。その結果として,だんまりを決め込んでしまう。今回の件も上記のように考えた人は相当いるんじゃないでしょうか?とどのつまり私が言いたいことは,このセクハラ問題に関しては,これまでの私たちの行動の集積の結果であり,私を含めて私達皆が共犯者であることを認識してほしい,ということです。さらに強く言うのであれば,私達はこれまでの行動の集積を,未必の故意として非難されて当然ということです。
じゃあ救いはないのですか!?となるわけですけれども,Nemeth(1986)は少数派が影響をもつ状況について,以下のように論じています。
1.ある争点について一貫して異論を唱え続ける
2.問題の争点以外の属性については多数派と同じ
3.集団が外的な脅威にさらされるなど,多数派が自分たちの観点を根本から疑う状況下まさに,現在のハラスメント問題に関する心理学界隈は,「自分たちの観点を根本から疑う状況下」にあると言えます。その中で,少数派であろうと,声を上げ続ける必要があると考えられます。だから私も色々な活動に顕名で参加し,矢面に立っています。変わるのは今しかないんですよ。これを逃したら,この後もまた被害者が出る,傍観者効果が続いていくでしょう。できることをできる範囲でできるだけやってみませんか?
私からのメッセージは以上です。皆さんよいお年をお迎えください。
引用文献
弁護士ドットコム (2023). 「僕と骨伝導しますか?」心理学者3人、研究用チャットで女性にセクハラ発言連発 学会が処分. <Retrieved from https://www.bengo4.com/c_18/n_16772/>
団藤重光 (1984). 刑法綱要総論(改訂版). p.274. 創文社.
Latane, B., & Darley, J. M. (1968). Group inhibition of bystander intervention in emergencies. Journal of Personality and Social Psychology, 10(3), 215–221. https://doi.org/10.1037/h0026570
Latane, B. & Darley, J. M. (1970). The unresponsive bystander: Why doesn’t he help? New York: Appleton-Century-Crofts.
Nemeth, C. J. (1986). Differential contributions of majority and minority influence. Psychological Review, 93(1), 23–32. https://doi.org/10.1037/0033-295X.93.1.23
日本認知・行動療法学会 (2023). セクシャルハラスメントに対する処分の報告. <Retrieved from https://jabt.umin.ne.jp/news/20231110.html>2023-12-21 / Daisuke Kudo / 0
カテゴリー: アドカレ系
・管理人:工藤大介 (Daisuke Kudo), Ph.D.
・所属:東北学院大学 准教授
・専門:社会心理学, 消費者行動, Русский язык
・その他:単冠湾泊地
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